内と外

 

  先ほど、Googleを見てたら、『バカの壁』の著者「養老孟司」氏が、『「自分の人生は自分のもの」という考え方からは、生きる意味なんて出てこない』と提言されていた❗️

  正に珠玉の一言

 僕は『自分の人生は自分のもの』という考え方の「人生」を『身体』と置き換えてみれば🤗⁉️

 『自分の「身体」は自分のもの』

  果たして、『自分の「身体」は自分のもの』であるのか🤔⁉️

  『臓器移植の折りには生前本人の意思を申告をしておくように❗️』と

  この言葉を聴いた時に、「自分の死体は果たして自分のものなのか🤔⁉️」という疑問

  僕は「僕自身の死体は自分のものではない❗️」と

  結論から云えば、「死体は家族のもの」

  生前の意思は尊重しても、実際は家族のもの

 自分の身体が遺棄されても自分で訴えることは出来ない

  要するに、「人生」も「身体」も自分のものではない❗️

 こう云う命題は如何に🤔⁉️

 『境界は内に属しているか⁉️外に属しているか⁉️』

  僕の答えは「境界は外に属している❗️」

  言い換えれば、「自分の皮膚は内に属しているか⁉️ 外に属しているか⁉️」

  ほとんどの方が「皮膚は内に属している❗️」と応えるであろう‼️

  湯呑み茶碗の茶の境界は何処に属しているか⁉️

  茶は湯呑み茶碗の内壁に接している❗️

  北極点の中心に輪ゴムを置いてみる

 輪ゴムの中は「内」である

 輪ゴムは無限大に広がると仮定して、南極点に向けて下ろして行くと南極点では、北極点では外側だったのが南極点では内側に成っている❗️

  要するに、『内は外であり、外は内でもある❗️』と

 自分という内のものが実は外であった❗️ということ

 だから、『「自分の人生は自分のもの」という考え方からは、生きる意味なんて出てこない』となる

   鍼灸のツボ治療は、外を治療していながら、実は内を治療し
ている❗️と

                  内憂外患翁

山椒

 

 春の陽気に誘われて山椒の枝から若芽が息をし始めた

 我が家には あちこちに山椒の木があって、長いのでは30年を越えり山椒がある

 寿命なのか残念なことに2/3は枯れてしまったが今年も新芽を出してくれてる

  楽しみは去年戴いた実山椒

  小さな小さな木ですが少しでも実を付けてくれることを願っています

 実山椒を戴いて毎年「ちりめん山椒」を作っていますが、実山椒の実を取るのが本当に大変😫

  買ったら高い「ちりめん山椒」、その値打ちは実を取ったら納得出来ます

 一粒一粒丁寧に取るのは本当に根気が要る

  40年ほど前、家主人の郷里の「隠岐の島」の山中で枝を斬り落とし「摺り子木」をこさえたのが今もあります

 娘が結婚する時に渡そう❗️と思ってたのに忘れてた

 孫が結婚する時用に渡そう❗️🤗と

  『山椒の木

        摺り子木作り

                  木の芽和え

                         胡麻摺翁

893

 

 安藤組・組長「安藤昇」著の『男の品位』を読んでいる❗️

 文中に出てくる例え話が最高😃

  「千人斬り」では、『一流のレストランでフランス料理のフルコースを食べたことは自慢になっても、カップラーメンを千個食ったからと云っても自慢にはなるまい❗️』等

  列挙すれば切りがない

 ところで、この安藤昇

  商売に関しても才能が溢れてる

 タイに渡って貿易会社を興そうとした

  チーク材(材質は堅く、伸縮率が小さく、水に強いので、船舶・家具などの用材や建築材として広く使用)を輸入しようとしたら、当時 日本は輸入禁止にしてたそうな🤔

 しかし、パイナップル🍍の梱包用にチーク材を使用しているのを知って、日本のパイナップル輸入業者に「パイナップル🍍は原価で渡すが、その代わりに梱包用のチーク材を戴きたい」と談判し、チーク材を加工して販売しよう❗️と企んだ

 ところがマスコミに嗅ぎつけられて保釈中の身であったからビザが取得出来なくなって敢え無く終了

  それを読んでグッドアイデアが浮かんだ🤪⤴️🤪

  コロナのことを数字で「567」と表示していますが、僕も漸く『893』に成る道を見つけました🤗🤯🤪

                   89314翁

詠唱

 

 明治27年(午年)生まれの婆さんが小さい頃、「1・2・3・4“”」のことを『ひー ふー みー よー いーむー なー やー こーとー』と教えてくれました

 20のことを「はたち」

 30のことを「みそち」

 だから、30日のことは「晦日みそか)」と言い一年の最後の日を大晦日と云う❗️と
 
 この「ひー ふー みー よー いーむー なー やー こーとー」や「九九」も実は『詠唱』( 節をつけて歌をうたこと)

2Ⅹ2=4「 ににんがし」

 答えが2桁になると、「が」が無くなる

 3Ⅹ5=15(さんご・じゅうご)と云うように

 数学者でエッセイストの藤原正彦氏が「インドでは、日本と異なり、2ケタの九九(1×1~20×20)を小学校で習い、地方によってはなんと 99×99 まで習うところもあるのだ」と

 日本でも「門前の小僧習わぬ経を読む」とあり、「読書百遍意自ずから通ず」とも

 ノーベル物理学賞湯川秀樹も小さい頃、「四書五経」を暗唱させられた❗️とも

 僕も程度はかなり落ちるが元素記号の覚え方の『水兵リーベ僕の船、漕曲がるシップス クラークか』や『いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせすん』等を教えた

  小さい頃の頭は砂に水が吸い込まれるように

                     岩窟翁😫

座して半畳、寝て一畳、天下取っても四畳半

 

  この歳になると家は小さい方が過ごし易いし、豪邸ともなると掃除も維持・治安も心配😰

  昔から、日本には『分相応』という言葉がある

  ところで、「ウクライナ侵略」のことです

 ロシアは面積こそ世界一ですが、人口は約1億4000万で日本をわずかに上回る程度。経済規模(GDP)は日本の3分の1以下、米国の10分の1以下で、世界で12位。G7各国はもちろん、韓国(11位)をも下回る

 最近は、エネルギーは世界有数であり、農作物でも輸出国になり、徐々に豊かに成りつつあった

  国民の平均年収は200万円ぐらい

 ですから、決して豊かではないですが、国土が広大な為、国防予算が膨大な為、中々国民には豊かさが行き渡らない

  国民の不平不満を抑え込むには強権が必要

  この構図は中國も然り

 多種多様な人種を束ねるには強大な権力を手中にするしかない❗️

 その矛先が領土の拡大

 人類の歴史はこの繰り返し

  長期間の権力者は権力者であり続けることが唯一の目的となり、国家の安寧=自分の安泰

  国民のことなど一顧だにしない

    もう一度云う❗️

  「座して半畳。寝て一畳、天下取っても四畳半」

                      縁の下翁

純粋数学

 

 僕が「算数」を断念したのは、小学生の時に大数学者「ガウス」の幼少期のエピソードを知ってから😰

 ガウス少年が小学生の時、先生から「1から100まで足して行ったら いくつになるか⁉️」という問題が出た時にガウス少年だけ ポカンとしてた

 他の生徒は必死に足し算をしているのに🥕

  先生がガウス少年を怒った

  その途端に答えを言った❗️と

  ガウス少年の計算式を聞いた先生は呆然とした❗️と

 その計算式を見た途端、僕の中から算数が排水溝に流れ落ちて行った😰😫😱

  算数から数学まで辿り着かなかった

 だのに😰であるのに、数学には興味がある

  数学者であり、優れたエッセイストでもある「藤原正彦」著の『心は孤独な数学者』なる著書を忘れた頃に再読している

 その中にインドの大天才数学者の『ラマヌジャン』の伝説を辿りながらの文章が秀逸である

ラマヌジャンの大天才を見出だしたのは宗主国・英国の数学者「バーディ」

 「 バーディ」と「ラマヌジャン」とのやり取りが「ラマヌジャン」が大天才である❗️と知らしめた

  藤原正彦氏が『純粋数学』は種々の学問のうちでも、最も美意識を必要とするものだ❗️と

 『美観』と『調和感』は、五感を通して体得しない限り培うのは難しい

 そのためには、「美や調和」の存在と、それを尊ぶ伝統の両方が不可欠である❗️と

  幼少の頃より、如何に楽して生きて行こうか⁉️と、純粋からは対極の不純な生き方をして来た僕には算数で終わったのは幸いであった

                        鶴亀算

春よ来い

 今朝、あおさ海苔を採りに行ったのに小潮だったから干潟は現れず、 只々 沖を眺めていた

  穏やかな凪いだ海

 漸く、周りが春めいて来た

 沈丁花の蕾が膨らみ出した

  この時期になると思い出すのが動揺の『春よ来い』

 大正生まれのお袋が口ずさんでいた

 「春よ来い 早く来い

    あるきはじめた みいちゃんが

   赤い鼻緒の じょじょはいて

   おんもへ出たいと 待っている」

  この歳に成ると、不意に昔のことが蘇って来るもんです

  「土筆」や「蕨(わらび)」に「薇(ぜんまい)」を採りに畦道や山に行っていた あの頃

   『 おんもにも

             干潟にも

                    春来たる』

                           浅蜊