内と外

 

  先ほど、Googleを見てたら、『バカの壁』の著者「養老孟司」氏が、『「自分の人生は自分のもの」という考え方からは、生きる意味なんて出てこない』と提言されていた❗️

  正に珠玉の一言

 僕は『自分の人生は自分のもの』という考え方の「人生」を『身体』と置き換えてみれば🤗⁉️

 『自分の「身体」は自分のもの』

  果たして、『自分の「身体」は自分のもの』であるのか🤔⁉️

  『臓器移植の折りには生前本人の意思を申告をしておくように❗️』と

  この言葉を聴いた時に、「自分の死体は果たして自分のものなのか🤔⁉️」という疑問

  僕は「僕自身の死体は自分のものではない❗️」と

  結論から云えば、「死体は家族のもの」

  生前の意思は尊重しても、実際は家族のもの

 自分の身体が遺棄されても自分で訴えることは出来ない

  要するに、「人生」も「身体」も自分のものではない❗️

 こう云う命題は如何に🤔⁉️

 『境界は内に属しているか⁉️外に属しているか⁉️』

  僕の答えは「境界は外に属している❗️」

  言い換えれば、「自分の皮膚は内に属しているか⁉️ 外に属しているか⁉️」

  ほとんどの方が「皮膚は内に属している❗️」と応えるであろう‼️

  湯呑み茶碗の茶の境界は何処に属しているか⁉️

  茶は湯呑み茶碗の内壁に接している❗️

  北極点の中心に輪ゴムを置いてみる

 輪ゴムの中は「内」である

 輪ゴムは無限大に広がると仮定して、南極点に向けて下ろして行くと南極点では、北極点では外側だったのが南極点では内側に成っている❗️

  要するに、『内は外であり、外は内でもある❗️』と

 自分という内のものが実は外であった❗️ということ

 だから、『「自分の人生は自分のもの」という考え方からは、生きる意味なんて出てこない』となる

   鍼灸のツボ治療は、外を治療していながら、実は内を治療し
ている❗️と

                  内憂外患翁