我が家の台所の流し台にあるゴミ受けの中身は、全ての洗い物が終わると洗い桶の中に移し入れ、それを庭に放り投げます
ですから、今年もミニトマトが野生で何本も出芽してた
先日、両方共 始末した跡に 南瓜(カボチャ)の双葉🌱が頭を出してた
この双葉🌱 昼間は葉を広げているんですが、夕焼けの頃になると葉を閉じるんです
難しい経典の中の知識ではなく、流し台から「輪廻転生」を知る
南瓜翁
小さい頃から読書ということに全く関心がなく、仕方なく小学6年生の時に読んだ「あゝ無情」の一冊だけ😣
高校生になって友人達の読書量を知って、「我が無知の源泉はここなのか⁉️」
友人達は北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」とか遠藤周作や野坂昭如とか
芥川賞・直木賞の現代のを読破してて 日々の会話に全くついて行けなかった
夏目漱石や志賀直哉・島崎藤村・芥川龍之介やら古典と云われてる本を読むので精一杯
意味も理解も出来ず、読破したという現実が欲しかっただけ
残滓すら遺っていない😢
唯一 高校時代 必死に読んだのが
五味川純平氏の
『人間の條件』
侵略戦争というものの実体とその極限的な状況のもとでの人間的良心の問題を、作者の入隊、戦争、捕虜の体験を背景に探った戦争文学作品である
一冊の厚さが5~6㌢はあろうかという本が5巻ほどあったか(⁉️)
正確ではないですが、その中で主人公が「小さな過ちや誤謬は謝れば許されるが、大きな過ちは決して許されることがない罪である❗」と
未だに、この台詞を覚えているんだから やはり 僕の人生に多大な影響をもたらしたのは間違いない❗
今でも後悔しているのは何故小さい頃から読書をしなかったのか⁉️と
「ドリトル先生航海記」等を読んでれば 別の人生を歩んでいたかも⁉️
読書は人生の未来の可能性を広げる❗
無読翁
河原には いろんな種類の草木が生き残りを懸けて繁茂しています
イタドリ・セイタカアワダチソウ・アメリカセンダングサ・グズ・ガガイモ・ヤブカラシ・ヨモギ・柳・ススキ等
覆い被さり巻き付いたりしてる
それぞれの立場の違いを尊重して棲み分けて生きてなんかはいない❗
誰しも河原の雑草なんぞのことなど気にも止めないけれど
そんな雑草の中をかき分け かき分け 入って行くと 絡み合って 生き残りを懸けて戦っている❗ということがわかります
畑を見ると正に棲み分けをしている❗と
人間は「適材適所」なる 素晴らしい生き方を見つけた❗
稲ばかり、トマトばかり、キュウリばかり、キャベツばかりの土地を区分して作ってる
自然のように生き残りを懸けて 混在させる競争をさせるべきだ❗とは思わない
人工的な畑やゴルフ場を見て、「素晴らしい自然だ❗」というのを如何なモノか⁉️との疑問を持たないのが問題だ❗と
薄(ススキ)が ここに来て 一気に首を伸ばして 尾花をもたげ出した
子孫を遺すために❗
薄翁
子曰
学而時習之。不亦説乎。
有朋自遠方来。不亦楽乎。
人不知而不慍。不亦君子乎。
「子曰く、
学びて時に之を習ふ。亦説(よろこ)ばしからずや。
朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや。
人知らずして慍(いか)らず、亦君子ならずや。」
ハワイで東洋医者(鍼灸・漢方薬)を十数年来している友人夫婦が帰郷した
ハワイでの鍼灸と言っても国民性で「お灸」はご法度
彼の治療は「癒し」が主で 治療室にお香を焚いたり、静かな音楽を流したり 実に丁寧な治療である
治療が終わると患者は芝生が敷かれた庭の周りの樹木を見ながら、漢方薬の処方を待つ❗
彼の治療院はワイキキより20分ほど離れた閑静な住宅街にある
彼の庭に植わっている「アボカド」
日本の3倍ほどはある大きさ❗
実に これが旨い❗
ノースシュアでスキューバダイビングしたり、ボディーボードしたり、焼酎の造り酒屋に行ったり
兎に角、ハワイの朋友は嬉しい❗
朋友翁
生きてる意味を考えるのは人間だけ
植物・動物が「意味」など考えてる訳がない❗
考えてるんだったら宗教もあるんだろうが祈ってる姿を見たことがない❗
「運命」って「運が命」と言って来ましたが、「運も実力の内」というように実力のない人には運も来ない❗
来てるけど、掴まえられずに見逃してしまう❗
それば、まだ、幸運を如何に掴むか⁉️ですが、実は「運命」とは「命を運ぶ」に如かず❗
これだけなのに、「功なり 名を遂げたい❗」と
次の世代のことを考えずに自分が生きてる間に幸運を掴みたい❗と
和英辞典で「運命」を調べると「fate」とか「destiny」
この『destiny』が実に意味深
英英辞典に拠ると、「des-tiny」となってる
「tiny」って「ごく小さい」
「運命」って「ごくごく小さい」んですって‼️🤗
英和辞典の「destiny」の 直ぐ下には「destitute」この同意語は「poor」だと❗
僕の「運命」は「H-imagine」、要するに、「poor」の『貧困』だった🤗
貧困だけど誰よりも豊かであった❗
tiny 翁
僕は絵を観るのが好きで、出来るなら美術館巡りをしたい❗と思っています
しかし、自分が絵を描くのは 上手くなりたいとか、見て欲しいとななく、「こんな絵ってあるかなぁ~🤔⁉️」「見たことないなぁ~🤗⁉️」
あらゆる物体は体積から面積がありますが、陰になると奥行きも色彩もない❗
そんな絵ってあるかなぁ~🤔⁉️
暫くは陰ばかりの絵を描いていました
その内、陰の代わりに物体を消した絵を描きたい❗と
そこで「消しゴム」で消す絵を描いた
その後、「曲線」を「直線」で描けないか⁉️と
要するに、僕にとって絵は疑問であったり、可能性であったりであった❗
絵とは自分の思考の結果であり、わざわざ他人に見せたところで 何になろうか⁉️
芸術家となると職業である❗
工芸品ではないから、次から次へと新しい創造をしなければ❗
そんなしんどいことをするより 「お陽さん 西西」の方がよっぽど楽なのに🤗⁉️
いきり立って「表現の自由」だなんて、高々 腹もふくれない 唯の芸術作品に熱を上げる⤴️⤴️⤴️のは如何なものか⁉️
『ラスコー洞窟の絵』
後世に遺そう‼️というより、唯々、描きたかったから描いただけでは
「芸術は買うもので、売るモノではない」
売国奴翁
僕は雨の日 以外は ほぼ毎朝 店の周りを掃除しています
特に、煙草🚬の吸い殻を拾う時に 頭を下げさせてくれることに感謝しながら
ほとんどの人が、「どうして こんなところに捨てるのか⁉️🤔😤」と怒りながら
「基本的人権」と云えば
『拘束されない身体の自由』
『思想や良心の自由』
『表現の自由』
「国家からの自由」となる❗
国民の「義務」として
『毎朝、家の周りを掃除する❗』
昔、イラストレーター・グラフィックスデザイナーの「黒田征太郎」氏の舞台で大きなキャンパスにペンキを塗り叩くような現場の後片付けをしたことがあります
黒田氏は振り向きもせず舞台から去った❗
あの時思った🤔
権利は主張するが、後片付けという義務は放棄
「表現の不自由展」を開催する知事・代表
展覧会場の掃除をしたら⁉️
こんなプラカードを掲げて❗
『権利を主張の前に掃除を‼️』
ゴミを拾うことは謙虚な行為
屑翁