思い出
人口の2.5%居ると云われているIQの高い人達 この方達の特徴を観ているとIQの高さ以外は僕にも多くが当て嵌まる sensibility(感性)、音や光や清潔感に敏感だった 学校の授業も全く興味が持てなく、机に座っているのが苦痛でならなかった だから、小学校・中学…
僕の祖母は明治27年生まれで「午年」であったと記憶している 小さい頃は祖母と寝起きをしていたから「おばあちゃん子」であった おばあちゃんの名前は「ヌイ」 ある時、おばあちゃんが転んだ❗️ それを見た僕は、「ヌイが転んでイヌになった」と手を叩きなが…
今朝、高校の同級生が石を抱えて入って来た❗️ 「家の木小屋に残っていた"亥の子さん"の石や❗️」 60年ぶりに見た石 今治地方では 「亥の子さん」のことを「ごうりんさん」と呼んでいた 「ごうりんさん」の石の中ほどに溝があって鉄製の輪っかを付けて、そろに…
僕は3人兄弟の末っ子(姉・兄・僕) 子供部屋なんて当然無かったし、勉強机なるものも僕のは無かった それが、小学6年生の時にちゃぶ台みたいな折りたたみ式の机(横70cm 縦45cmぐらい)を買ってくれた 表面がツヤツヤしてた お袋が云うには、「デコラ板」よ❗️ …
幼稚園から中学校までの担任の名前や顔は思い出す 小学校の用務員のオジサンの顔も覚えている それが、高校となると ほとんど記憶が消失している 僕は何故か高校時代 生徒会長をさせられていた 入学して最初の授業(英文法)を受けて直ぐ、「入学するんじゃな…
昔から云われている 『馬には乗ってみよ 人には添うてみよ』 僕の生き方は正に この通り 嘘っぽくても 取り敢えず 乗ってみる 駄馬であっても また、これはこれで何かが起こって面白ろそおぅ 兎に角、遣ってみて あかんかったら止めればいいし、遣ってみたら…
昔の日本家屋、冬は寒かった お風呂は五右衛門風呂で薪で焚いてたから、その風呂焚きは子供の仕事だった 寝る時の暖房と言えば『湯タンポ』だった トタン製の凸凹な湯タンポ そこに新しく出て来たのが豆タンを使った『アンカ』 豆タンを風呂の焚き火の中に入…
小学生の時には筆箱の中に必ず「消しゴム」があった お袋が小刀で鉛筆✏️を削ってくれたし 筆箱をしょっちゅう点検してた 筆箱の中には出始めた鉛筆削り、消しゴム・三角定規・分度器・コンパス等 言われたまんま 筆箱に入れて学校に通ってた ところが、どう…
一つ上の先輩がやって来た 学生時代の話しになり、現代との隔世の感を再確認した 風呂・電話・台所があるアパートに住んでいた学生は1割も居なかった❗️ 部屋にあるのはニクロム線の電熱器と、アルマイトの湯沸し器に卓上蛍光灯にラジオぐらい 僕の下宿生活…
たまには寝坊をしてみるもんだ 今朝の目覚めは5時46分 朝の用事を考えたら裸足の散歩は無理みたい 兎に角、僕の朝の用事は することが山積み 草木の水遣り、隣家の換気の為の窓開けをし、メダカの餌遣り 急須に茶葉を入れ 湯を注ぐ 朝食と自分の弁当作り …
今から12年ほど前、プルドックを飼ってて 同時期にラブラドールと2匹 我が家に居ました このブルドッグ、犬らしき素養が一切 持ち合わせていなかった 誰にでもなつき、番犬にもならず 海岸に連れて行くとラブラドールは一目散に海に飛び込んで 犬掻きをし…
今の自分からは想像だに出来ないが、僕は三人姉弟の末っ子 だから、小さい頃は お婆ちゃん(明治27年生まれ)と一緒に寝てて、枕元で「お大事児」と言われながら育った 寝る前には、数字の数え方「ひいふうみいよおいつつむっつななつやっつここのつとお」…
この言葉を日常に使い出したのは高校生 ソ連のトルストイの著書、『戦争と平和』ではなく、中國の「平和」 あの頃は、中國よりソ連の脅威が強く、「米ソ冷戦」が続く中、我が国は米国との「安全保障条約」の締結・延長で国内は混乱してた 僕は「70年安保」…
10年ほど前か なぁ~ 漫画の『深夜食堂』を読みだしたのは❗️ 小林薫が食堂の主人になってドラマ化もされた 店名は《めしや》だけど、営業時間は深夜0時から朝の7時ごろまで 『深夜食堂』って言ってる 性別も、年齢も、境遇も異なったさまざまな客が店を…
小学生の頃はアルマイトの弁当箱だった 給食になったのは高学年だったのでは⁉️ 脱脂粉乳のことは全く記憶がない 飲んだ世代なのか⁉️ は定かではない 貧しい世帯が多かったし栄養不良の子供が居たから給食になったんだろう あの頃、牛乳と云えば瓶に入ってた …
母が亡くなって16年、存命してれば95歳 我が母の「言動」は振り返ってみても 紙面が何枚あろうと筆舌に尽くし難い❗️ 「子育て」も滅茶苦茶やし、人の道と云う「道徳」なんぞも一切合切 持ち合わせていなかった❗️ やること為すこと ひっちゃら めっちゃら…
むかし、昔 ある婆さんが午後4時近くになると、必ず 店の前に立ち止まって奥の壁にある時計⏰を見て 坂を下って行ってた❗️ 近くの銭湯♨️の開店一番に入る為に時間を確認してた❗️ 毎日、毎日 鬱陶しいので ある日 時計を30分進めて遣った 婆さん、見るなり…
最近、人生に於いて「結婚」とは どんなものだったのか⁉️と振り返っております 「夫婦」と云いますが、これは立場を表してゐて『伴侶』と云うのが一番 相応しい❗️のではと思っております 人生は「山登り」の如く喩えられますが、山ではなく「岩山登り」だ❗️…
今は亡き親父に、「見て来た映画で一番 印象に残ってんのは何⁉️」って訊いたことがある 即座に、『志村喬の「生きる」である❗️』と 監督は黒澤明で公開は1952年(僕が生まれた年) 『無為に日々を過ごしていた市役所の課長が、胃癌で余命幾ばくもないこ…
森繁久彌の唄 歌:森繁久彌 作詞:野上 彰 作曲:仁木 他喜雄 『たとえどんな人間だって心の故郷があるのさ俺にはそれがこの街なのさ春になったら細い柳の葉が出る夏には雀がその枝で啼く雀だって唱うのさ悲しい都会のチリの中で調子っぱづれの唄だけど雀の…
若かった頃、幾度となく仕事で失敗したことや、失敗しそうになる夢を見て寝汗をかいて目が覚めたことを覚えています 「夢に出てきたら本物」とは⁉️ 双子のマラソンランナーとして活躍した宗茂氏が引退後の解説で 「いつ自分が引退する時が来たなと思ったかと…
僕が小学生の頃、校長から表彰されて名札に「善行賞」なるバッチが戴けた賞がありました 誰かが善い行いをしたのを市民が届けたのを学校に通知して 朝礼の時に前に呼び出されて表彰されるんです 今日、この地域は昼から風雨☔️が強くなった 若い女の子が店の…
授業も出ずに、実習も最初の出席だけ済ませたら脱兎の如く雀荘へ駆け込んだ 実習は二人でするもんでしたが、全て相方に任せて 実験結果は助手に訊き 相方に教えてレポート✒️を書いて貰ってた 兎に角、薬大に行っているのに授業と実習には出ずに学食や事務職…
折れた傘☂️や穴の空いた鍋を修繕する人が時折 町内の一角の路肩に座ってて お袋に「持って行って治してもらって来い❗」と お米を持って行って「パンパンマメ」にしてもらったり 小学校の門前に針金細工でゴム鉄砲を作ってた人 色付きの砂で絵を描いてる人 町…
僕のお袋が生きていたら、今年 95歳 この お袋の言動が 僕の遺伝子に濃く継がれてゐる お袋の出自は心斎橋 菓子(金平糖)の製造元で丁稚や女中さんが沢山ゐて、そこの長女だったから「いとさん」と喚ばれてゐた‼️と 女学校に行く時は女中さんがお供につい…
柳田 邦男は、日本のノンフィクション作家、評論家 1995年、精神を病んだ柳田氏の次男が自殺する体験を綴った『犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日』を発表したのを読んだことがある 昨日、柳田氏の『人生の一冊の絵本』を手にした 柳田氏は全国各…
僕が小さい頃、鶏小屋があって 20羽ほど飼ってた 子供の仕事として、近所で「繁縷(はこべ)」なる「ひよこ草」を採って来て まな板で刻み 糠(ぬか)と混ぜて遣っていた 鶏小屋は大工さんに頼んで 卵が自然と外に出る構造だった 隣家は山羊を飼ってた 時…
若輩の頃には島崎藤村や中原中也の詩集に憧憬してたのを思い出した 島崎藤村の「落梅集」の序 『吾胸の底のこゝには 言ひがたき秘密(ひめごと)住めり 身をあげて活ける牲(にへ)とは 君ならで誰かしらまし』 とか 中原中也の「盲目の秋」の 『風が立ち、…
今週のお題「秋の空気」 僕等が若い頃、深夜のFMラジオから流れて来るのは、城達也氏ナレーションの『ジェットストリーム』 「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、たゆみない 宇宙の営みを告げて…
以前からも、今も後悔しているのが小さい頃に本を読まなかったこと 親父は本をよく読んでて、漢文などは毛筆で書き写してた なのに なのに、遊び呆けた 昨日、「ノーベル化学賞」を受賞された吉野彰氏 小学4年生の時に読んだファラデー著の「ロウソクの科学…