思い出

冠雪

四国の背骨の石鎚連峰 笹ヶ峰・瓶ヶ森・石鎚山・二の森と続く峰 高校時代、何度か縦走をした 30kgほどのリュックを背負い足下を見ながらひたすら歩いた テント️を張り、ラジュースで夕食を作り、見上げた夜空は夥しい星で覆われていた 友と夢や将来を語りあ…

昭和枯れすヽき

この歳になると昔を振り返るのが癖になってるのか只の郷愁なのか⁉️ 昭和の紅白歌合戦の司会者と云えば、後に参議院議員にもなった宮田輝氏 この方が曲紹介においての口上として使ったことから生まれた表現 「歌は世につれ 世は歌につれ」と 昭和の高度成長時…

リアカー

小さい頃、自転車のサドルの下の棒に太い針金でリアカーを結えて荷物を運んでいる人を目にしてた 小学校の運動具を仕舞っている部屋にもリアカーがあった 小学校のリアカーは人力車みたいに人が中に入って引いていた❗️ 大学生の頃、引っ越しの時など借りて来…

竹とんぼ

僕等が小さい頃、暇で器用なお爺さんが居た 竹を持って行くと小刀でポンポンと割って1本は細く もう一本は羽にする為に横幅を広くとって、キリで横幅の広い中心に穴を開けて行く 羽を薄く削り、軸の先を穴の大きさにする❗️ 10分ぐらいで「竹とんぼ」が出来…

納豆

人生で最も辛臭時期を過ごしたことがあった 神楽坂通の辻を入ったところの「紙屑屋」である 住み込みで、3食付き そこで、人生初の「納豆」を毎日朝昼夕と3回食べなければならない羽目になった お袋は大阪心斎橋の生まれであるから納豆が食卓に登ったことは…

ギフテッド

人口の2.5%居ると云われているIQの高い人達 この方達の特徴を観ているとIQの高さ以外は僕にも多くが当て嵌まる sensibility(感性)、音や光や清潔感に敏感だった 学校の授業も全く興味が持てなく、机に座っているのが苦痛でならなかった だから、小学校・中学…

ヌイ

僕の祖母は明治27年生まれで「午年」であったと記憶している 小さい頃は祖母と寝起きをしていたから「おばあちゃん子」であった おばあちゃんの名前は「ヌイ」 ある時、おばあちゃんが転んだ❗️ それを見た僕は、「ヌイが転んでイヌになった」と手を叩きなが…

亥の子

今朝、高校の同級生が石を抱えて入って来た❗️ 「家の木小屋に残っていた"亥の子さん"の石や❗️」 60年ぶりに見た石 今治地方では 「亥の子さん」のことを「ごうりんさん」と呼んでいた 「ごうりんさん」の石の中ほどに溝があって鉄製の輪っかを付けて、そろに…

デコラ板

僕は3人兄弟の末っ子(姉・兄・僕) 子供部屋なんて当然無かったし、勉強机なるものも僕のは無かった それが、小学6年生の時にちゃぶ台みたいな折りたたみ式の机(横70cm 縦45cmぐらい)を買ってくれた 表面がツヤツヤしてた お袋が云うには、「デコラ板」よ❗️ …

先生

幼稚園から中学校までの担任の名前や顔は思い出す 小学校の用務員のオジサンの顔も覚えている それが、高校となると ほとんど記憶が消失している 僕は何故か高校時代 生徒会長をさせられていた 入学して最初の授業(英文法)を受けて直ぐ、「入学するんじゃな…

貧乏自慢 第3彈

昔から云われている 『馬には乗ってみよ 人には添うてみよ』 僕の生き方は正に この通り 嘘っぽくても 取り敢えず 乗ってみる 駄馬であっても また、これはこれで何かが起こって面白ろそおぅ 兎に角、遣ってみて あかんかったら止めればいいし、遣ってみたら…

湯タンポ

昔の日本家屋、冬は寒かった お風呂は五右衛門風呂で薪で焚いてたから、その風呂焚きは子供の仕事だった 寝る時の暖房と言えば『湯タンポ』だった トタン製の凸凹な湯タンポ そこに新しく出て来たのが豆タンを使った『アンカ』 豆タンを風呂の焚き火の中に入…

消しゴム

小学生の時には筆箱の中に必ず「消しゴム」があった お袋が小刀で鉛筆✏️を削ってくれたし 筆箱をしょっちゅう点検してた 筆箱の中には出始めた鉛筆削り、消しゴム・三角定規・分度器・コンパス等 言われたまんま 筆箱に入れて学校に通ってた ところが、どう…

電報

一つ上の先輩がやって来た 学生時代の話しになり、現代との隔世の感を再確認した 風呂・電話・台所があるアパートに住んでいた学生は1割も居なかった❗️ 部屋にあるのはニクロム線の電熱器と、アルマイトの湯沸し器に卓上蛍光灯にラジオぐらい 僕の下宿生活…

朝寝坊

たまには寝坊をしてみるもんだ 今朝の目覚めは5時46分 朝の用事を考えたら裸足の散歩は無理みたい 兎に角、僕の朝の用事は することが山積み 草木の水遣り、隣家の換気の為の窓開けをし、メダカの餌遣り 急須に茶葉を入れ 湯を注ぐ 朝食と自分の弁当作り …

入れ歯はつらいよ

今から12年ほど前、プルドックを飼ってて 同時期にラブラドールと2匹 我が家に居ました このブルドッグ、犬らしき素養が一切 持ち合わせていなかった 誰にでもなつき、番犬にもならず 海岸に連れて行くとラブラドールは一目散に海に飛び込んで 犬掻きをし…

今の自分からは想像だに出来ないが、僕は三人姉弟の末っ子 だから、小さい頃は お婆ちゃん(明治27年生まれ)と一緒に寝てて、枕元で「お大事児」と言われながら育った 寝る前には、数字の数え方「ひいふうみいよおいつつむっつななつやっつここのつとお」…

平和

この言葉を日常に使い出したのは高校生 ソ連のトルストイの著書、『戦争と平和』ではなく、中國の「平和」 あの頃は、中國よりソ連の脅威が強く、「米ソ冷戦」が続く中、我が国は米国との「安全保障条約」の締結・延長で国内は混乱してた 僕は「70年安保」…

只翁

10年ほど前か なぁ~ 漫画の『深夜食堂』を読みだしたのは❗️ 小林薫が食堂の主人になってドラマ化もされた 店名は《めしや》だけど、営業時間は深夜0時から朝の7時ごろまで 『深夜食堂』って言ってる 性別も、年齢も、境遇も異なったさまざまな客が店を…

牛乳

小学生の頃はアルマイトの弁当箱だった 給食になったのは高学年だったのでは⁉️ 脱脂粉乳のことは全く記憶がない 飲んだ世代なのか⁉️ は定かではない 貧しい世帯が多かったし栄養不良の子供が居たから給食になったんだろう あの頃、牛乳と云えば瓶に入ってた …

母の日

母が亡くなって16年、存命してれば95歳 我が母の「言動」は振り返ってみても 紙面が何枚あろうと筆舌に尽くし難い❗️ 「子育て」も滅茶苦茶やし、人の道と云う「道徳」なんぞも一切合切 持ち合わせていなかった❗️ やること為すこと ひっちゃら めっちゃら…

当意即妙

むかし、昔 ある婆さんが午後4時近くになると、必ず 店の前に立ち止まって奥の壁にある時計⏰を見て 坂を下って行ってた❗️ 近くの銭湯♨️の開店一番に入る為に時間を確認してた❗️ 毎日、毎日 鬱陶しいので ある日 時計を30分進めて遣った 婆さん、見るなり…

伴侶

最近、人生に於いて「結婚」とは どんなものだったのか⁉️と振り返っております 「夫婦」と云いますが、これは立場を表してゐて『伴侶』と云うのが一番 相応しい❗️のではと思っております 人生は「山登り」の如く喩えられますが、山ではなく「岩山登り」だ❗️…

生きる

今は亡き親父に、「見て来た映画で一番 印象に残ってんのは何⁉️」って訊いたことがある 即座に、『志村喬の「生きる」である❗️』と 監督は黒澤明で公開は1952年(僕が生まれた年) 『無為に日々を過ごしていた市役所の課長が、胃癌で余命幾ばくもないこ…

銀座の雀

森繁久彌の唄 歌:森繁久彌 作詞:野上 彰 作曲:仁木 他喜雄 『たとえどんな人間だって心の故郷があるのさ俺にはそれがこの街なのさ春になったら細い柳の葉が出る夏には雀がその枝で啼く雀だって唱うのさ悲しい都会のチリの中で調子っぱづれの唄だけど雀の…

緊張

若かった頃、幾度となく仕事で失敗したことや、失敗しそうになる夢を見て寝汗をかいて目が覚めたことを覚えています 「夢に出てきたら本物」とは⁉️ 双子のマラソンランナーとして活躍した宗茂氏が引退後の解説で 「いつ自分が引退する時が来たなと思ったかと…

善行賞

僕が小学生の頃、校長から表彰されて名札に「善行賞」なるバッチが戴けた賞がありました 誰かが善い行いをしたのを市民が届けたのを学校に通知して 朝礼の時に前に呼び出されて表彰されるんです 今日、この地域は昼から風雨☔️が強くなった 若い女の子が店の…

薬大

授業も出ずに、実習も最初の出席だけ済ませたら脱兎の如く雀荘へ駆け込んだ 実習は二人でするもんでしたが、全て相方に任せて 実験結果は助手に訊き 相方に教えてレポート✒️を書いて貰ってた 兎に角、薬大に行っているのに授業と実習には出ずに学食や事務職…

あの頃🤗

折れた傘☂️や穴の空いた鍋を修繕する人が時折 町内の一角の路肩に座ってて お袋に「持って行って治してもらって来い❗」と お米を持って行って「パンパンマメ」にしてもらったり 小学校の門前に針金細工でゴム鉄砲を作ってた人 色付きの砂で絵を描いてる人 町…

大阪 心斎橋

僕のお袋が生きていたら、今年 95歳 この お袋の言動が 僕の遺伝子に濃く継がれてゐる お袋の出自は心斎橋 菓子(金平糖)の製造元で丁稚や女中さんが沢山ゐて、そこの長女だったから「いとさん」と喚ばれてゐた‼️と 女学校に行く時は女中さんがお供につい…