真言宗の開祖
俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお)
法名の『空海』であるが、一説には「室戸岬の御厨人窟で修行をしているとき、口に明星が飛び込んできたと記されている
このとき空海は悟りを開き、当時の御厨人窟は海岸線が今よりも上にあり、洞窟の中で空海が目にしていたのは空と海だけであったため、空海と名乗った」とされている❗
僕も ほとんど毎朝 海岸に行き、「空と海」を見ている❗
ここからは私説であるが、洞窟から見たのは「空と海」だけなのか🙄⁉️
遊離している「空と海」を眺めて『空海』とは あまりにも安直過ぎないか🤔⁉️ということ
確かに、「空と海」は遊離している
「線」は「境界線」というように内外とかを分け隔てする為に引かれる❗
果たして、『空海』は「空と海」とを分け隔てしようとしたのか⁉️
魚にとって、空は死である❗
人間にとって、海は死である‼️
空海は生死は遊離していると考えてたのか⁉️
そうではないであろう❗
生死は一如である❗
『空海』が洞窟から目にした「空と海」が融合している「水平線」を見て『空海』と名乗った❗のでは🙄⁉️
荒れ狂う海🌊も空🌀もあるが、それも水平線に目を遣ると「空と海」は一如
愚翁