自然界の多様性って、三次元でもなく四次元でもなく、それに四季、乾期・雨期に空・川・海があったり、状態によって時々刻々と変化する中に生物は生きている
人間も宗教や習慣等 多様性に富んでいる
頻りに、『多様性』が叫ばれているが、多様性の前に『多種』を付けねばならない❗️
今の議論を聞いていると『多種一様性』から「種一」を除いた『多様性』を述べているように思えて仕方がない❗️
「多種」なればこその「多様性」なのに、恰も『多種一様性』の如くの議論
「多種」は棲むところも状況も違う、要するに「棲み分け」を行っているからこそ「多様性」が保たれる
「棲み分け」させなくすれば争いは必至
人間にも多種多様な生き方がある❗️
それを無視して『多様性』を同一地域(国)に適用としても、それは多種間の争いを生ずるばかりである
人間も生物である、理屈では人類であるが生活・習慣・宗教も人種間で相容れないものがある❗️
「多様性の共用」とは耳障りはいいが、結局は「多種間の競争」を産む最悪の事態を生じさせる元凶となる❗️のは歴史が物語っている
自然界には「棲み分け」が備わっているから『多様性』があるが、それを人種に無理矢理 押し付けようとすれば必ず争いが起こる❗️
「多様性」という言葉ではなく『適所適材』が「棲み分け」に繋がる
多種多様翁