蟷螂

 

 先週の金曜日、焚き火をしてたら10cmぐらいのカマキリを見つけた❗️

 松山の孫(6才男子)が虫が好きだから日曜日に持って行ってやろうと😝

 孫が通う幼稚園には「虫好き3人組」が居て、虫籠に入れたカマキリを「明日、友達に見せるんだ❗️」と喜び勇んでいた

 孫の母親(我が娘)は虫が嫌い😫

 な・な・なのにである❗️

 帰宅して暫くすると娘から悲鳴の電話が掛かって来た

「大変❗️ 大変❣️」

「カマキリが卵(泡)を産みだした❗️」

 孫は大喜びである🤪

 次の日、昆虫仲間に産卵したカマキリの虫籠を持った行き、その中のひとり(昆虫博士)に「卵は何匹ぐらいかえるの⁉️」

「1000匹〜2000匹」

 それを聴いた我が娘

 泡を吹いたそうな🤩

 泡てない❗️

   泡でない❣️

     一休翁

猿の腰掛

 

 我が家の日常に呑む酒の銘柄は「梅錦酒造」の「栄照」、昔で云う二級酒である

 大体 45年ほど愛飲している

 30年前か⁉️ もっと前か失念しましたが梅錦酒造会社がキャンペーンで「梅の苗木プレゼント」を企画した

  応募要領は忘れましたが、2〜3本戴いた

 八重の紅梅で、忘れた頃に実をつけるようになった

 多くても7〜8個

 梅干しを作る時に混入してた

 ところが花をつけだすと小さな蟲が大量に発生😫

 あちこちの枝が枯れて来たので6〜7年前に根元から伐採した

 ところが今年の梅雨のころに切り株から妙な白いものが成長し始めた

 今日 見たら明らかに「猿の腰掛」である

 古来から梅の木に生える猿の腰掛を特に「梅寄生」と云って珍重されて来た

 もっと育てて猿🐒みたいな腰掛より象🐘の腰掛に成るように育てよう❣️

     象翁

ゆらぎ

 

 若い頃から陶器に関心が高く、旅先では陶芸館や窯元を巡るのが愉しみである

 先日から「陶芸の美」なる本を読んだり眺めたりしている

 作陶家の古人や現代作家の顔写真と共に作品 それに作陶するにあたっての心意気を語っている

 若い作家の和田的氏の一言

「正確に直線を彫っても、手から何か伝わるものが絶対にあると信じている

 人の手が自然に生み出す"ゆらぎ"はエッジのきいた造形を優しく包みこみ、作品と人との距離を縮め、自己と向き合う時間へと導く」と

 この一文の中に出てくる「造形」

 この「形」と「型」を長年考え続けて来た

 「形」には「ゆらぎ」がある❗️

 裏千家の千玄室氏の動作に親近感と温もりを覚えるのは「型」ではなく 「形」=「ゆらぎ」が醸し出されているからかも⁉️

 自然界に存在する「ゆらぎ」が発見されたのは、ほんの80年ほど前

 電気的導体に電流を流した時の抵抗値が一定にならず、不安定に揺らいでいることによるもの

 光、音楽、電気信号など波長を持つものや、蝶、魚、風、炎など動くものは、波形や軌跡をフーリエ変換によって正弦波の和に分解できる

複雑な波形も、周波数(f:振動の多さ)やパワー(P:振動の幅)の異なる大小さまざまな正弦波が合わさったものであることがわかる

 これを周波数の小さい順に並べた時、パワーが傾き45度のきれいな反比例になるものを「1/f」ゆらぎを持つと云う

 形が分かり出すと自然が見えてくる❗️

     1/f翁

デコラ板

 

 僕は3人兄弟の末っ子(姉・兄・僕)

 子供部屋なんて当然無かったし、勉強机なるものも僕のは無かった

 それが、小学6年生の時にちゃぶ台みたいな折りたたみ式の机(横70cm 縦45cmぐらい)を買ってくれた

 表面がツヤツヤしてた

 お袋が云うには、「デコラ板」よ❗️

 今で云う「化粧板」である

 自分のものは無く ほとんどが兄貴のお下がりであった

 初めて自分専用の机❗️

 それからは真面目(不思議だけど⁉️)に一年間は勉強した

 部屋の隅っこに置いているデコラ板の脚を出して、先ず表面を磨いてから勉強

 幼かったし、まだまだ素直な時期であった

 あのデコラ板の模様は今でも脳裏に残っている

 あの時代、ほとんどが自分専用というのが無かった

 本❗️と云えば、親父は図書館に行け❗️と

 生物図鑑が好きだったのに買ってもくれなかった

 今、片喰(かたばみ)が桃色の花を咲かせている

 小さい頃は そこいらの草や葉っぱや花を口に入れていた

 片喰は「すいば」とも呼ばれていて、口に入れると とっても酸っぱい

 河原で今では失念したが 何がしかの根っ子を掘って食べていた

 あの時代、モノがなかったから何かして遊んだり 食ったりしてた

 飽食は幸せなことなのか⁉️

 空腹こそが最大の ご馳走であった

   飢餓翁😙

安らぎの水

 葬儀の帰途、このまま自宅に帰ると暗くなるから運転に気をつけなければならないから、松江市で一泊して翌朝帰ることにした

 ホテルから近場で飲み屋を探した

 小さな居酒屋であるが、看板には島根県各地の地酒がある❗️と

 暖簾をくぐると あんちゃんというより 少し年季が入っている大将

 「李白」という地酒を頼んだ

 早速ひと口

 すっきりした味わいと喉ごし

 そうしたら、カウンター越しにガラスコップが渡された

 「これは何という酒ですか⁉️」

 大将曰く、「安らぎの水」です

 「呑まれた酒の味を洗い流して 次の一杯を新鮮な舌先で味わって戴く為の水です」

 「唯の水道水ですが島根県の水は旨いんで❗️」

  「安らぎの水」と勝手に呼んでいるんです❗️と

 この「安らぎの水」という名称がかなり気に入った❣️

 唯のコップの水が「安らぎの水」になるとは❣️

 〆に宍道湖の「しじみ汁」を注文した

 味噌味ではなく、少し藻塩を足した すまし汁

 これが実に胃腑に優しく収まった

 「安らぎの店」でもあった

          また、行こう

   安らぎの翁

古稀

 

 本来なら長寿の祝いは数え年でするのが習わしですが、近頃は何となく数え年の風習が満齢になって来ている

 満齢で僕の古稀は明日(10/22)となる

 僕が生まれた1952年時の平均寿命は61.9才であった

 平均寿命が60才を越えたのは1951年生まれから❗️

 だから、親父は「こいつの寿命は62年か⁉️」と生まれた時には思ったはず

 生まれた時の平均寿命を超えて明日は古稀

 人生を振り返って見ても、唯々 馬齢を重ねただけだった

 勉強に関しては後悔ばかりですが、人生で一番の愉しみは「子育て」でした

 人間は両手がありますから、あっちも こっちも と欲張るもんですが、僕は片手だ❗️と思うようにしました

 地位も名誉も金を求めると子育ては疎かになり、母親任せに成る❗️と

 そこで、きっぱり手から「地位・名誉・金」を放下した

 手に載せたのは「子育て」

 大人になり、自分の子供時代を振り返ると後悔ばかり

 図書館に行き子育ての本を数十冊は読みました

 自分の子供時代と本から学んだことを実践した

 本の中にこんな一文があったのを覚えている

「哺乳動物の親は子供に餌の捕り方を教えるが、人間の親は いつまでも餌を与え続ける!

 だから、自立出来ない❗️」と

 「じりつ」には「自律」と「自立」がある

 僕は子供等を前に座らせて 二つの「じりつ」の漢字を書いた紙を見せた

 「自カラヲ律スレバ、自ズカラ立ツ!」と

 人生に遣り残したことは無い❗️

 何時 迎えに来ようと心構えは出来ている

 後は土に還るばかりである

    土還翁

恥ずかしながら 帰って来ました

 

 家主人の御母堂様が危篤ということで急遽 実家のある島に行って来ました

 終末医療は受けない❗️ということで、何もせず、そのままで施設で見送ることになっていました

 ですから、点滴もせず なすがままに任せてから三日目 突然 意識が戻って 最初に発した言葉が

 「ご飯(は)⁉️」

 喪服一式を持って行ってたのに

  「ご飯は🤔」

 家族全員が壁に頭をぶつけた

 恥ずかしながら 何もせずに帰って参りました


 生きている間に一目でも❗️という気持ちが完全に失せました

 あの時間とお金は 無駄だった😂😅😡

 僕の場合、あまりにも無駄が多過ぎる🤬

 ということは僕自身が無駄だと

  無駄心中翁😩