夜中頃から雨が降り出した
ウッドデッキに出て一服していると、軒先から はみ出てる干し竿に雨水が溜まって 今にも落ちそうになってた
この雨水のことを古人は「玉水」と表していました
大数学者の「岡 潔」
晩年は俳人の松尾芭蕉と曹洞宗の開祖 道元禅師に傾倒されて「人生とは情緒である」と
その道元禅師の歌
「聞くままに また心なき身にしあらば 己なりけり 軒の玉水」
これを引き合いに出して
「自分を忘れて雨音に聞き入っていた、そうすると自分というものがないから、意識を通しては何も分からない。しかし、そんなふうにしていると、ふと我に返ったとき、あっ、今のさき、ついいままで、自分は雨垂れだったと気づく」と自説を述べている
「玉水に
我も うつりて
下に落つ」
玉翁