年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
唐代の詩人、劉希夷(651~680?)の作
「年年歳歳花相似たり」
ですが、草は歳歳年年同じからず
蓬が暫く蔓延っていたかと思うと いつのまにやら他の草に主役が代わっている
ほとんどの人は草(雑草)に意味は無い❗️として抜いたり刈ったり枯葉剤を散布したりしますが、僕は草の移り変わりや雑草が何故逞しいのやらを引っ張ったり、根っこを掘ったり、摘んだりするのが好きで遊んでいます
意味が無い❗️となると この店も そこに一日中居る僕も意味が無いことになる❗️
人間だけが生きる意味を考えたり、探したりしている
雲は実体はあるが脳が無いから意味を知らない❗️
ならば、鳥や虫や猫には脳があるから生きている意味を考えてるか⁉️と問えば 素知らぬ顔をするだろう
草も然りである❗️
生きている意味なんて考えるより遊びを考える
結局、僕は小さい頃から遊ぶことばかり考えて来たことになる❗️
「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん」
余暇翁