高浜虚子の句に

「去年今年

  貫く棒の

   如きもの」

  という力強い時間の連続性を詠んだ句がある

 「去年」は「こぞ」と読む

 人生の途中の区切りは「読点」の「、」

 終わりは「句点」の「。」

 去年と今年を貫く棒

 僕には「芯棒」という「棒」もなく、辛さを抱え込む「辛抱」もなかった

 僕の根底にあるのは「老子」の思考

 第六十六章に

「江海の能く百谷の王と為る所以の者は、其の善く之に下るを以ってなり」

 要するに、江海はなんであんなに水があるんだと⁉️

 遜って一番下に居るからだ❗️

 下に居れば全てのものが集まって来る‼️

 毎日毎日、来る日も来る日も蒼社川の河口を眺めていただけ

 いろんなものが流れて来る

 梅雨時には濁流となり、渇水期には川底が干上がる

 それを観て、生き抜く術を学んだ

 大きく成るより、小さくなって生きる❗️ことを‼️

 「去年今年

  貫く棒も

   無かりけり」

    無棒翁