昔むかし、洗濯物は盥(たらい)に浸けて「洗濯板」に広げて固形石鹸を擦り付けてゴシゴシ洗っていた
その内、我が家にも洗濯機が登場
絞り機が手回しであったから、しょっちゅうボタンが壊れて街中には「ボタン屋」さんという専門店があった
ボタンを取り付けてゐた母親の姿を思い出す💡
我が家の隣りの川
朝鮮人が多く住んでゐて、洗濯物を川に持って行き 大きな石の上に洗濯物を広げ 石鹸を擦り付け それを丸めて棍棒で叩いてた
お袋は着物👘の洗い張りもしてた
着物を裁いて反物にして端を柱に結わえた横棒に渡し、それを引っ張って遠い柱の横棒に結わえて、竹ひごを反物に皺が出来ないように何本もたわしてた
洗濯するにも一苦労
薪でご飯を炊いたり、日がな一日中 家事仕事に励んでいたのが母親の姿であった
蓬の葉を採って来ては草餅を作ったり、秋には「サルトリイバラ」 の葉っぱに柏餅を挟んで作ったり
干瓢を煮て 巻き寿司を作ったり
正月前には餅米を何升も洗い 何段も重ねた蒸籠で餅米を蒸して餅つきをしたり
一年中 働き詰めてた
あの頃とは格段の違いな生活を送ってゐる
あらゆる生活が電気で送れるようになった
我が家で火🔥があるのは石油ストーブだけである
これは、停電や災害時になった折りの為である❗🙃
電気のお陰で都市社会が出来上がった
この機会に 電気が無くなった生活を経験するのも貴重かもしれない
能電気翁🙃