近頃、この「常識」なる言葉に陥穽して中々抜け出せなくなっている
英語では「common sense」であるが、果たしてこれをいつ頃から「常識」として普及し出したのやら⁉️
そして、その「常識」とは普遍なのか⁉️
いつ頃となれば明治時代からだと思うんですが、「普遍」と思っている「常識」
この普遍という「常識」が実に厄介
アインシュタインが、「常識とは、人間が18歳までにかき集めた うず高き偏見の山である」と
日本の場合は22歳までに かき集めた うず高き偏見ではないだろうか⁉️
大学に入学して知識階級と云われている人々の影響を受けて 自分なりの「常識」を作り上げて行く
如何せん、この「常識」が普遍となるから厄介である
常識は時代と共に変幻している
自分が若い頃に獲得した「常識が普遍である」ということが「偏見」に成っていることに気付かず、終生その「偏見」から抜け出せなくなっている輩が何と多いことか⁉️
「常識」に知識を被せて闊歩しているのが「専門家」
多くの国民が この専門家達の言説に惑わされている❗️
今の時代、60年安保・70年安保世代が専門家として蔓延っている
彼等の若い頃、この世代はマルクス・レーニン主義に傾倒してた
その時に得た常識が確固たるもの❗️
常識は時代と共に変化している
その変化を受け入れない連中のことを僕は敢えて「常識世代」と喚んでいる
要するに、「偏見世代」
常識世代は時代に抗って生きている
それこそが自分達の常識を次世代に伝えねばならない❗️と
昔から、「諸行無常」云うではないか❗️
「常識は無常」
常識禍翁