時遊

 僕は以前から「自由」という言葉が好きでは無かった

 何故かというと、「自由」とは、縛られていない,束縛のない,行動の自由なこと!とある

 この「行動の自由」がどうも腑に落ちないし、「行動」という動作に納得がいかなかった

 「自在鈎」という道具がある

 囲炉裏の火で煮炊きするために、鍋や釜をかける道具

 囲炉裏の上を通る梁からつり下げ、上げ下げや回転を自在にすることができる仕掛けが工夫されていることから、「自在鉤」といわれている

 自在鈎が要を為す時は、自由行動ではなく、動かないように ある意味 束縛されている

 自在鈎を観てて、「動かない自由」こそが本物ではないかと長年思っていた

 いづれ誰もが「生老病死」を辿る

 自由が行動の自由であれば「病・死」は行動が束縛される

 ならば、自由から不自由へと、否が応でも人生の最後は「束縛」という不自由に成る!

 要するに、「自由」は結局 「時間の制限の中にしかない!」

 果たして、時間の制限の中での自由は本当の自由なのか?

 時間を追い掛けたり、追い回されたりする自由は どうも不自由である!と思っている

 だから、僕は「自由」という字は使わず「時遊」という創作字を時と遊ぶために使っている

 「時遊」とは「動かない自由」

 生・老・病・死も時の中にある

 生老病死さへも遊ぶことを「時遊」と

     時遊翁