中国の詩人である杜甫の詩句「人生七十古来稀なり」の「古稀」を迎えて社会を見るにつけ、勝者必ずしも幸福でなく、敗者却(かえ)って不幸でないのを身を持って知り得た
一日中不労であって、食いたい丈喰って、呑みたい丈飲んで、胸中一点の曇りなく、綿の様な身体を伸ばして、一息に眠る
これを味わえるのは陋巷(ろうこう)の貧者(敗者)なればこそである❗️
勝者は富を得て欲望が益々殖え、安寧なる日々がない
その点、貧者(敗者)は明日の憂いをしたところで成るようにしか成らない❗️のを身に染みて知っている
ところで、前文の「陋巷」の『陋』であるが、「場所が狭いこと。また、心・見識が狭いこと。」と
実に意味深長なる漢字
歳を取ると「老人」と喚ばれるが、只単に「老いた人」ではなく、だんだん心・見識が狭くなる『陋人(ろうじん)』と成る人が実に多くなる
勝者に「陋人」が多いのは、自分の思い通りになってたことが段々と出来なくなって 周りに怒りを当たり散らす
その点、貧者は今日も明日も諦観
小欲多幸、強欲不幸
陋翁