庭訓(ていきん)

 

 孔子が庭で、子の鯉 (り) に対して、詩経礼記を学ばなければならないことを教えたという

 「家庭教育。家庭での教訓」を云うと

 ということですが、僕が育った「庭訓」は、ホーム(家庭)でもアウェイ(世間)でも滅茶苦茶やった😫

 今の僕があるのも、ある意味「庭訓」の賜物と言える❗️

 着替えが全く出来ず、身体検査の後は裸のまま帰って来てたし、偏食も尋常ではなく「すき焼き」では「葱」ばかり、パン🍞食ではバターを半分ほどを丸齧りしてた❗️

  「世間の常識」・「家庭の躾」は 皆無

  小学校の高学年に成った頃、あまりにも世間と自分との隔絶に愕然とした❗️😰ことを覚えています

 お袋は子供の教育を思うより、自分のしたいことを僕にもさせていた

  したことを優先した結果、しなければいけないことや、してはいけないことなんぞはお構い無し❗️

  正に、「反面教師」であった

 だから、家庭を持った時に『家訓』を決めた❗️

 ・「靴は揃えて後向きに脱ぐ」

・「してはいけないこと」

  「しなければいけないこと」

  その後に「したいこと」

   この2つだけ

 「靴を揃えて脱ぐ」とは「始末」、始まりと末さへ出来てれば途中のことはいづれ何とかは成る❗️と

   それにしても、「庭訓」という言葉は考えさせられた

                           庭鶏翁