一つ上の先輩がやって来た
学生時代の話しになり、現代との隔世の感を再確認した
風呂・電話・台所があるアパートに住んでいた学生は1割も居なかった❗️
部屋にあるのはニクロム線の電熱器と、アルマイトの湯沸し器に卓上蛍光灯にラジオぐらい
僕の下宿生活は入学して僅か3ヶ月で追い出しをくらった
それから、居候(いそうろう)生活が卒業するまで延々と続いた
住所不定ですから家との繋がりは銀行通帳だけ
家族は金銭の出し入れで生存を確認するだけ
家族も連絡のしようがなかった❗️
ある時、後輩が「学生課から先輩を探して、来るように言ってくれ‼️」と
「学生課に先輩の自宅から電報が来たみたいですよ」🤯と
あの頃の学生の急用の連絡方法と云えば「電報」であった
ほとんど、『カネオクレ』
学生課に行くと、自宅からの電報が届いていた
『シキュウ レンラクシロ』と
あの頃、市外電話代は高かった❗️
だから、電報だった🥴
電報の書き方も特別
一升(マス)に1文字
『ガ』は「カ」と「”」の2文字にしないといけなかった❗️
兎に角、今の生活とは「雲と泥」いや「月と亀」ぐらいの差があった
荷物は駅に行き預けて、その荷物📦と一緒に汽車に乗り込み、下車すると荷物を受け取り下宿に運んだ
これを、「チッキで送る❗️」と言っていた
僕等の若い頃は皆 同じ経験をした
あれから、50年 半世紀が経った
「昭和は遠く成りにけり😙」
余命31年翁