今の自分からは想像だに出来ないが、僕は三人姉弟の末っ子

だから、小さい頃は お婆ちゃん(明治27年生まれ)と一緒に寝てて、枕元で「お大事児」と言われながら育った

寝る前には、数字の数え方「ひいふうみいよおいつつむっつななつやっつここのつとお」とか「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん」とか

世の中は「1・2・3・4・・・」で「あいうえお かきくけこ」であるのに🙄‼️

小さい頃に頭がこんがらがったから、現在も こんがらがったままの僕が居る❗️

小学校に入って2年生になると「九九」を覚えなければならない❗️

「2×3 が 6」

「2×4 が 8」

「2×5 10」

「2×6 12」

答えが2桁に成ると「が」が消えるんだ🤗❗️とが分かった時は嬉しかった🤪

そんな変なことばかり考える小学生

いつの頃か「色」の名前に興味を持ちだした

北原白秋

城ヶ島の雨』

雨はふるふる城ヶ島の磯に「利休鼠」の雨がふる

「利休鼠」は緑色がかった灰色

日本人ほど微妙な「色」の違いに名前を付っている国は無いのでは😙⁉️

僕の一番 師事している 画家の熊谷守一

この人の絵は写真では分からないことがあります

何度となく実物を観たが、線は引いていない❗️

引いていない「線」なんてあるのか🤯⁉️

絵や陶器等は実物を観たり、自分で描いたりして初めて分かることがあります

僕の見立てですが、熊谷守一氏は太い筆で赤色の線を大胆に描き、それを違う色の絵の具で徐々に挟み込んで行き 線を作って行く❗️

「線は描くのではなく、あるのである❗️」と

線は描くもの‼️との先入観を見事に覆せられた

「が」翁