牛乳

小学生の頃はアルマイトの弁当箱だった

給食になったのは高学年だったのでは🙄⁉️

脱脂粉乳のことは全く記憶がない

飲んだ世代なのか⁉️ は定かではない

貧しい世帯が多かったし栄養不良の子供が居たから給食になったんだろう

あの頃、牛乳と云えば瓶に入ってた

牛乳の蓋を外す、今ではお目にかかれない特別な道具があった ❗️

当番が それをキャップに突き刺して渡さしてくれてた

牛乳が瓶からパックになったのはオリンピック(1964年)以降じゃないかなぁ~

途中、一瓶の容量が一合(180ml)から200mlに変更された時は皆で喜んだものです

僕が大学生の頃に流行った歌が「南こうせつ」の『神田川

歌詞は

「貴方は もう忘れたかしら
赤い手拭い マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋
一緒に出ようねって
言ったのに
いつも私が 待たされた
洗い髪が 芯まで冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った
貴方は 私の身体を抱いて
冷たいねって 言ったのよ」

大学生の頃、自分の部屋に風呂♨️がある奴は金持ちのボンボンやお嬢様

風呂屋に行くのが当たり前だった

番台の前にあった冷蔵庫のガラス戸を開けて「牛乳」を飲むのが至福の時であった

あの分厚い瓶からグイグイと飲む牛乳は実に旨かった

紙パックに入った牛乳をストローで飲むのとは味が違う❗️と思う

あの頃、喫茶店と云えば「喫茶店」の前に一文字『純』があって『純喫茶店』であった

メニューの中に「ホットミルク」というのがあった

只、牛乳を温めただけだったが何となく健康に良さそう🙄という気分で頼んでた

紙パックにはフィルムを貼り付けている

紙パックをリサイクルするにも色々な作業をせねばならないであろうから、瓶にして回収し再利用すれば脱炭素社会になるのでは🙄⁉️

それより、紙パックで飲む牛乳より分厚い瓶から飲む牛乳の方が絶対旨い❗️🤗🤪🙃

瓶乏翁