母が亡くなって16年、存命してれば95歳
我が母の「言動」は振り返ってみても 紙面が何枚あろうと筆舌に尽くし難い❗️
「子育て」も滅茶苦茶やし、人の道と云う「道徳」なんぞも一切合切 持ち合わせていなかった❗️
やること為すこと ひっちゃら めっちゃら🥴
実際の「言動」を書くと、現在の僕の所業も 然もありなん🤪❗️となる
詳細を記すと、我が家の次世代にも影響を及ぼすので割愛しときます
母親の生まれは心斎橋付近、商家の長女で「いとさん」と喚ばれて、女学校に行く時には女中さんが一緒に付いて来てた❗️と
あの時代(80年くらい前)に心斎橋付近をローラースケートで流してた❗️と
女学校を卒業して親父に見初められて結婚し、直ぐに長女を出産した
僕は3姉弟の末っ子
子育てなんぞは端から「子供の自立」などは考えておらず、僕は小学4年生くらいまでパンツもシャツも靴下も服も着れなかった
だから、身体検査の後は裸のまま(パンツ一丁)でランドセルを背負い「裸の大将 俺一人❗️🤗🤪🙃」と叫びながら帰ってた
小学5年生くらいに成って、漸く この母親の謂うままに生きて行くのは「如何😤❗️」と気が付いて 母親離れをし始めた
兎に角、世の中の常識と云うものが欠落してたから、それからの僕の言動も はちゃめちゃ❗️
高校に入学した、その日の1時限目の授業(英文法)で「3年間 遊び捲って浪人しよう❗️」と決意した
それからの行動は「オシテ・シルベスターローン」
何故か生徒会長をさせられてて、学校からは「このまま行くと 歴代生徒会長で初めての留年と成る❗️」と
あまりの言動の滅茶苦茶さで学校からは「後輩に悪影響を及ぼすから早く追い出せ❗️」となり全ての試験の答えを教えて貰い 漸く卒業と成った🤪🤗😙
苦節(2年間浪人)して大学に入学した途端、またまた遊びにのめり込んで 全ての試験をカンニングですり抜けた
24歳で卒業と成ったが、この期間で自慢出来る成果は、「カンニングの極意を得た」こと
最高度の危険は、最終試験(落ちれば留年)に臨んだのは3人で監督官も3人
要するに、1対1で見張られている状態でのカンニング
これも見事にクリア(突破)
カンニングだけは自慢出来る自信を得た大学生活
一時、真剣に「カンニング塾」なるものを考えたことがある❗️
口頭試験以外の筆記試験ならば、どんなに膨大な試験であっても合格する自信はあります
このように人の道から外れた生き方を学んだのも母親からです❗️🤗🤪🙃
「母ちゃん❗️ こんな人生を歩んで仕舞った🤪」
後免翁🤗