僕のお袋が生きていたら、今年 95歳
この お袋の言動が 僕の遺伝子に濃く継がれてゐる
お袋の出自は心斎橋
菓子(金平糖)の製造元で丁稚や女中さんが沢山ゐて、そこの長女だったから「いとさん」と喚ばれてゐた🙃‼️と
女学校に行く時は女中さんがお供について来てた🙃‼️と言ってた
兎に角、オテンバ「いとさん」だったようで、あの当時に心斎橋をローラースケートで走ってた🤪‼️と
お袋のことを語り出すと 際限なく 笑い転げること間違いない🙃🤗
兎に角、大阪が好きで 拘ってたから終生 田舎弁は使わなかった
拘りの1つは、「お好み焼き」
必ず、「コンニャクと牛すじ」を煮込んだのが入ってた
お袋の「お好み焼き」とは違いますが、僕が大阪の吹田市に住んでゐた時に行ってた お好み焼き屋
そこの お品書きに「ねぎ焼き」というのがありました
鉄板に溶いた小麦粉を薄く伸ばし そこに「ねぎ」と「紅生姜」を乗せるだけ
直ぐに焼き上がり半分に折って 薄口醤油を さっと一塗り
小さなヘラで切って 口に放り込むと醤油の香りが鼻に抜け 舌には「ねぎ」と「紅生姜」の味が残り コップ酒を含むと一気に胃腑に流れ落ちる❗️
今度のキャンプのメニューの1つは この『ねぎ焼き』にしよう❗️っと🙃
旨そうだったから、今度 ベトナムに行ったらナンプラーを買って帰って作ってみよう🤪
葱翁🤗