三國志

『死せる孔明、生ける仲達を走らす』

この言葉の経緯は

「敵対していた蜀と魏の戦いの一つである五丈原の戦いの最中に、蜀の丞相である諸葛亮が病没した。これを察知した魏の軍師である司馬懿は、諸葛亮のいない蜀軍を強敵ではないとみなし、撤退する蜀軍に追い討ちをかけた。しかし、蜀軍が反撃の姿勢を見せたため、司馬懿諸葛亮の病没は魏軍を釣り出すための計略であったと勘違いし、撤退した」と

諸葛孔明は死んでも尚 威光があった❗

昨晩の家主人との会話

「兎に角、じっと一人で遊んでれば いい❗ どうせ、金儲けなんか出来ないし、あてにもしてないから🙃‼️」と

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」

しかし、「死ぬのは吝(やぶさ)かではない‼️ が、生きて行くなら静かにしとけ😤」と

「死せる閑翁 河原で鳥葬🦅」

鳥翁🙃