僕が小さい頃、鶏🐔小屋があって 20羽ほど飼ってた
子供の仕事として、近所で「繁縷(はこべ)」なる「ひよこ草」を採って来て まな板で刻み 糠(ぬか)と混ぜて遣っていた
鶏🐔小屋は大工さんに頼んで 卵が自然と外に出る構造だった
隣家は山羊を飼ってた
時折、山羊の乳も飲んだ
食べ物が不足してたとは思っていなかったが、大人達はどうにかして困らないように行動してたのでは⁉️
どの家も貧しかったが、外に不満をぶつけることもせず必死に生きていた
一年中 同じ服を着てた同級生も居た
自分の不甲斐なさに腹を立ててたのか、あの当時、今となっては死語となっている「克己」なる言葉もよく聞かれました
作家も芸術家も自身の内面に「敵」を見出だし、そこを創造の源泉として汲み出し作品として仕上げていた❗
衣食足りたからなのか🤔⁉️
自身の内面の「敵」は 最早 居なくなったのか⁉️
誰も彼もが、外に「敵」を見出だし 怒りをぶつけ出した
外部の「敵」には執拗なまでの攻撃
国家間でも、国内でも、国会でも、「外敵」を見つけて攻撃するのは どれも然り‼️
内面の「敵」には充分なる備えがなければ自身への攻撃となるから言葉も慎重に選んでいた❗
ところが、他人への攻撃となれば 罵詈雑言(ばりぞうごん)の限りを尽くす
「衣食足りて礼節忘れ、罵詈雑言を吐く」
嘆翁😣