こんな「題」で書く人は 先ず居ない❗
細部に入って行くと難解な教義とか戒律とか、とにもかくにも それぞれがそれぞれに❗
「それぞれ」にが大事で「それぞれ」を知る必要はない
まして、「それぞれ」を攻撃することはあってはならない❗
彼の大国 中國は宗教は認めていない代わりに「共産主義」という「主義」を教義としている
「宗教」も「主義」も、「それぞれ」であるから「それぞれ」を認め合って生きて行くのが知恵である
その「それぞれ」を 此方に代えようとするから軋轢が生じる
日本の仏教では、各宗派の多くが「題目」を唱えてゐます
真言宗は、「南無大師遍照金剛」
この それぞれの「題目」の初めの二文字『南無』とは「帰依します」
「南無キリスト」でも「南無エホバ」でも それは それぞれ
どんな宗教に帰依しようと 決して他の宗教を攻撃してはならない
それぞれがそれぞれの場所で ひっそり生きて行く❗ことが「宗教」であり「主義」である❗
はずであるが⁉️ 歴史は宗教戦争であったり、主義の主張であったり、同化させようと暴力を遣ったり 果ては戦争まで仕掛ける
如何に、広く深く厳しく修練したところで
『宗教とは生き方』
短い一生、他人・他国を捲き込んでまで自説(主張)を押し付けなくても❗
中國と香港の軋轢は「共産主義」と「民主主義」との攻めぎあい
大国が小国を飲み込む
「泰然自若」
なる「鷹揚(おうよう)」なる大人(たいじん)は居ないのか🤔⁉️
「小人 閑居して 不善を為す」
正に、中國は大国でもなく性根は「小國」
南無翁🤗